七殺:身を克す神。制があって初めて使える
七殺は日主を克し、陰陽が同じ行である。甲木の七殺は庚金である。扶抑では身を克す。正官と同じ側であり、官より凶い一つの星ではない。圧力、期限、外から迫るものは、しばしばここから来る。迫ること自体は成就ではない。
身が弱く、制もなければ、七殺は圧である。余力がないのにさらに克されれば、ただ締まる。突破は語れない。使うには、先に制が要る。よくあるのは食神が制することだ。身を泄しながら殺を押さえ、圧力が仕上げるべき一つの事になる。あるいは印が化する。金が水を生み、水が再び木を生めば、克身の力が生身に転じる。盤が本当にそう通っていなければならない。庚と壬が見えるだけでは化成とは数えない。
食神の制もなく、印の化もなければ、七殺を魄力や権とは書かない。制があり、身が堪えられて、初めて「用いる」と言える。ラベルは「圧力、突破」と書いてよい。突破の二字は「制がある」の後に置く。
甲が庚を見て初めて七殺である。庚が制されるには、丙火が本当にこの金を克すか、壬水が本当に金から生まれて木を生むかを見なければならない。遠く隔たり、冲かれて落ちた字は、すでに制があるとは数えない。制がなければ、この篇は克身で止める。
出典は『子平真詮』の七殺を論じた箇所。本文は一念自身の読み方である。